んー何でそうなるの? ~「二度と起きないよう・・・」という被害者遺族達の毎度~

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【解釈の間違い】

双方車で云々という流れの外見から、

自動車にまつわる法律を適用しようと探す

=道交法からアプローチする からおかしくなる。

例えば、

地上39mのマンション(12~13階相当)から

人を突き落としたことで人は死なない。

落ちた地上が人に与える衝撃で死ぬ。

この時突き落とした人は、

「暴行罪や傷害罪で逮捕」はされない。

突き落としたことで容易に人が死ぬことを想定出来る上で

行なったとすることが前提となって

「殺人罪で逮捕」される。

【解釈の結論】

「運転致死傷で該当せず」の方がむしろ正当。

二台の車がそこにある環境下で起きた

「殺人事件」

なのだから。

 

【一般殺人事件としてみればごく自然】

高速道路の追い越し車線(最低速度50キロ制限)は、

停車が違法な上に速度100キロが許容されており、

危険極まりない状況へと他の車両を追い込み

最大100キロの車両が突っ込んでくることを想定した上で

行った

=家族を含めた公衆の面前で、

13階建てマンションの上から二名を突き落とした

ことと同義であり、

※ 「時速100キロで走ってくる車の前に

二人を突き飛ばしたのと同じである。

その衝撃は、

マンションの13階から飛び降りた時に匹敵する」

と言った方が分かり易いかな?

 

「計画的(監禁)殺人で逮捕」が相当。

※ 監禁の時間は、この場合関係ない。

死因は「衝撃」であり、

13階のマンションから突き落とす衝撃に

時間的要因は何ら関係しない。

 

【前科等余罪】

以前、

山口県警は同者を、

一般道で同様の行為により

「自動車運転処罰法違反(過失致傷)容疑で書類送検」

しており、重犯(反省の機会を放棄したとみなされる)

には酌量の余地はない。

 

且つ家族を含む公衆の面前で行なった殺人で、

公序良俗を著しく害しており、

この点では秋葉原での無差別殺人と同様の厳罰を要する。

 

更に、

社会通念上状況を想像出来ないトラック運転手

(不起訴=上記の地上の立ち位置に当たる)を

自身の加害行為に利用しており、

「殺人ほう助の強要」

も追加すべきである。

 

もっと更に、

トラックがほどなく追突しており、

状況証拠=自分も重傷を負っていること から考えて、

監禁状態から解放したのではなく、

もはや車両が追突するのを避けられないと判断して、

被監禁者を見捨ててでも自分だけは助かろうと

その場を逃げ去った、と判断するのが妥当。

「第三者を利用しほう助させた不真正不作為

(いわゆる”見殺し”)による殺人」

としても捉える又は追加することが出来、

これを裁判所が認定することこそ、

「被害者の死を予見出来た」ことや

「自分で追い込んだ状況下で被害者が死んでも構わない

と考えた⦅未必(みひつ)の殺意⦆」証明となり、

この「事件の核心部分」である。

あらゆる「ゴネ得」を目的とした加害者のよた話を

許容し続けている理由はここの認定がされていないから

であり、今後一蹴する為に最も必要な要件である。

 

【相当判決】

「永山基準」に照らしても、

二名以上の死亡被害を一人で引き起しており、

前科や余罪をみても更生の余地どころか、

釈放後の遺族の安全が全く担保されない。

※ 2018.06.09. のぞみ265に乗車していて

以前からの想いを更に強くしたが、

これら常軌を逸した殺人犯には単なる刑期だけでなく、

実社会での生涯背負う実害を受けるべきであると思う。

私の考える殺人に相当する実害制裁とは、

 

「遺族の意向があれば、

加害者の両目を奪う=視力を失わせることが出来る、

且つ障害者認定されない」

 

ことだと思っている。

※ 不思議な罰だと感じるかもしれないし、

他の意見があるだろうことも承知しているが、

加害者釈放時点の生命を最低限保障した上で、

加害者釈放後の被害者遺族への逆恨み犯罪を回避する、

被害者遺族の畏怖という精神的負担を軽減する、

障害者手帳の有無で実障害者への偏見差別を排除する、

のが目的であり、

「自分が遺族だったら」

と想定した時の今考え得る最も有効な手段だと思う、

のが根拠である。

 

被害者と遺族の人権があまりに守られない歪(ひずみ)は、

更なる凶悪犯罪を助長しており必ずいつかどこかにしわ寄せがいくだろう。

 

少なくとも

「二名の殺人罪、前科による酌量の余地なし」

で判例に照らし合わせれば

「死刑」

が相当である。

 

【これから】

既に「危険運転致死傷罪」

にて立件してしまっているので、

別件として追加起訴しながら、

※ 通常一連の流れを一事件として扱い、

同じ流れの中で別件を立件することは出来ないが、

加害者が一つ一つを別々の事件だと主張しているので、

ここを逆手にとっての別件立件、命取り、

という大岡裁きを見せて欲しいものだ。

 

先ず「危険運転致死傷罪」で判決を行い、

控訴してきたところで

「反省なしとみなしプラス10年」、

※ 控訴が必ずしも減刑されると思うなかれ。

 

その後

「再逮捕、死刑」

とするのが相当である。

※ 勿論裁判所が凶悪且つ社会的脅威と認定すれば、

この件自体を差し戻し、

改めて「殺人」にて立件するよう指示する可能性もある。

※ 死刑反対論があることは承知しているが、

「司法の場は正義を争うところではない」。

それは正義の何たるや知った者が順守し合う世界で、

罪を犯す前段階の議論の場でやれ。

司法の場は既に罪を犯した者に対し、

罪と同等の身を切らせ清算させるところだ。

特段の理由や酌量の余地がなければ、

被害者の代理人である遺族の意向を最優先に

民意を加味して最大の量刑が求められ、

それを叶えられて当然である。

殺人が異常な行為である以上、

同等な死刑がたとえ異常であっても

執行されて然るべきで、

守るべきは、

「人を殺したら終わりだよ。」

と親をはじめとする日本全国民が教育し合える

「基本的人権の均衡」

である。

 

「法務大臣の押印判断」という肩の荷を下ろす為、

死刑判決が出る度にその人数分だけ押印せねばならない、

という法律を創ることを提案する。

(死刑確定者の生存権の制限)

被害者の死亡数は殺人者の死亡数をはるかに超え、

相変わらず殺戮(さつりく)は繰り返され

その人数差は広がるばかり、法律はそれを許容し続けている。

被害者遺族の善良性に甘え続け、

「死んだもんはしゃーない、お前らが我慢しとけ」

とツバを吐く

法律の人命軽視という罪は大きい・・・

 

 

2018.12.04. (Tue.)

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