2011年06月16日再投稿

お早うございます!

私の以前の投稿を再度アップし、

その有効性を世に提案させて頂きます。

ある問題について巷(ちまた)に落ちている

先人やお年寄りの知恵を端(はな)から=頭ごなしに無視せず収集し、

有効性を確認し使えるものはルール化する仕組み創りの必要性を感じます。

ロジックがしっかりした頭脳や

理路整然とした考え方の方だけがルール創りを占有していては、

ローカルな問題に行き届いたルールが構築出来ない、または

大事になるまで成文化出来ず

成熟までに多大な犠牲を伴う等異常な長い時間がかかります。

 

【当時の投稿全文】

”TOMMY”爺の知恵袋 ~その001~

昨今、お年寄りの「重大な自動車事故」、

その多くは「アクセルとブレーキの踏み間違え」、

所謂「自爆事故(だが、歩行者等を巻き込んで重大な事故になってしまう。)」

が多発しているらしい・・・

 

ニュースでのコメント

「この様な事故を防ぐ方法は無いのだろうか・・・」

 

「あるよぉ~~~。」

それは・・・

”TOMMY”爺の知恵袋

 

『アクセルを右足、ブレーキを左足で踏む』

 

過去に私は仕事上、非常に長い時間運転する必要があった時期があり、

右足で「アクセル」と「ブレーキ」を踏み替えていたのだが、

「トルコン」で右足ばかり使っていたら、

「フットレスト」上の左足が決して楽ではなくなってきた。

そこで左足を動かす為に始めたのがこの方法。

別々に足を掛けているので、「踏み間違え」は絶対に無い。

場合① 「力」を入れ間違える。

場合② 「はっ。」として「パニック」に陥る。

等のケースが考えられるが、いずれも結果的には、

『両足に力が入る』

実際に「アクセル」と「ブレーキ」を

同時に思いっきり踏み込んでみると分かるが、

 

『アクセルとブレーキを同時に踏むとブレーキが勝つ』

という訳で車輌は急ブレーキを踏んだ場合と同じ状態で止まる。

難点は、初めてトライした時に、

左足で「フェードイン」の踏み込みが出来ない事である。

まず99%の方が急ブレーキを踏んだ時の様に前へつんのめる。

「慣れ」が必要なスキルである。

万能な方法ではないかもしれないが、

相当数の「踏み間違え事故」を未然に防ぐ事が出来ると思う。

言い切らない、あくまでも「思う。」

に留めておく。でも・・・

『火傷の箇所を醤油につけると、痛くない』

まあどうでもいいけど・・・

【当時の投稿全文以上】

 

私は「下らない話」が大好きなので余談が多いですが、

言いたいことは一つ、

 

『アクセルを右足、ブレーキを左足で踏むというルールに変えなさい』

 

ということです。

何故右足だけの踏みかえに固執しているのかさっぱり分かりません。

初めから両足で運転を覚えれば、

現状当たり前のスキル不足でのペダル操作によるノッキングも、

左足でブレーキングをミスる急停止も変わりはありません。

どちらも慣れで解消していく問題です。

上記の私の経験談からも、

自動車運転に携わる何十年もの間、

右足ばかりを使用し続ける「使用頻度の極度な乖離」も

運転手の身体バランスの崩れや、

そこからくるストレスの原因になると考えています。

 

私にとっては少なくともここまで非常に有効なスキルですし、

全ての運転手さんにお勧めします。

 

『アクセルを右足、ブレーキを左足で踏んでは如何ですか?』

 

でも・・・

『日本人ボクサーはボディーを打たれて、

よがりながら倒れる人が少ないなぁ』

何らかのフェイクで相手が息を吸うタイミングを作って

そのコンマ何秒を逃さず脇腹後方に拳を叩き込むか、

みぞおちに沿って削ぐようにフック気味にえぐると、

完全に戦意を喪失させるボディーとなりますが、

これで倒れた日本のトップボクサーは殆ど見たことがないですね。

肘から先の腕で相手のパンチをガードしたり、

超人たる所以である腕の瞬間の動きが完全に見えていて、

スエー(のけ反り)やダッキング(前かがみ)でよける技術が

世界的にも高いのかもしれません。現在その最たる位置に立つ

「井上尚弥さん」

は歴代トップの日本人ボクサーの一人。

※ 個人的にはダントツトップだと思っています。

今日頑張って下さい!!

まぁ本題とは全然関係ないけど・・・

 

 

2019.05.19. (Sun.)

「公平成り」~「律令を重んじ平和を維持す」への新た

 

明治時代 日露戦争

大正時代 第一次世界大戦

昭和時代 第二次世界大戦

平成時代 戦争歴無し

 

戦争無き時代を日本の象徴が望んだ結果だと思います。

平成天皇が国家の平和を祈り国民に寄り添おうとされた

「天皇の在り方を問う」姿勢には感謝の念に堪えません、

ありがとうございました。

政府が天皇の御意向を必死で叶えんとした結果でもあります。

政府政策に口は出さないのが天皇の定義ですが、

政府とて全く天皇の御意向に耳を傾けないのは無理な話です。

戦争が無い代わりに自然災害は戦火の如く悲惨な結果をもたらし、

「プラマイ0」で「平らに成らす」は神の御意向を感じます。

 

新時代は既に始まっており、

近隣諸国の脅威に、もはや武装やむなし、

変貌せざるを得ない時代の突入に

平成を平静に繋ぐ為、

新たなる元号はどうしても必要だったのかもしれません。

「握手しながら空きの手で殴り合う」

と形容されるのが当たり前の国家同士のせめぎ合いは

如何なる時代を創り上げていくでしょうか。

仏陀に創始された広大な東南アジアの宗教の多大なる影響を受けた

「寺」文化から、再度日本独自の「神」の文化を独立させ、

日本は自ら立ち、端々迄自国の文化に誇りを取り戻し、

最先端の頭脳・技術に至る迄世界を牽引していかんとする姿勢を

強く打ち出していく時代にしていくことに期待したいものです。

「規律を重んじること」

「平和の持続」

この二つには相関関係があり、

これを最も重んじ国家規模で維持してきたモラルの高さこそ

日本の誇りであり、

もう一度そんな国家を取り戻そうではありませんか、

そんな「決意」を感じる元号だと直感的に思いました。

 

また、

「0〇=零輪=ゼロからスタートし、丸く収める」

という響きからくるインパクトも柔和で日本らしいと感じます。

 

2019.04.01. (Mon.) 11:30 am

22世紀 ~「根絶」を理解してるか ~

お早うございます!

コンサルします。

 

警察的考え方になりますが、

法律は社会秩序の為にあります。

それも主は、

「一般社会(人)、平均的社会人や弱者」

が守られるように創られてい(き)ます。

 

違法ドラッグが規制、違法とされる理由は、

「依存性があり廃人となり蔓延すれば国を亡ぼすから」

です。

映画「スカーフェイス」のアル・パシーノあたりが

ジャンキー(違法ドラッグにおぼれる者)を大まかに捉え易く、

こんな社会人が国内至る所にいたら地域や国が

どうなっていくか我々でも想像出来るかと思います。

「過度の違法ドラッグ摂取」という表現は、

異常な行動のように感じてしまいますが、

依存性が強く、

恒常的な違法ドラッグの摂取は当然の流れであり、

「異常な量になっていくのが基本」

ですので

「過度の違法ドラッグ摂取は、

違法ドラッグを摂り込んだ人にとっては普通の事」

なのです。

つまり、

「違法ドラッグの摂取は、

依存し過度の摂取になり廃人になるか早死にし、

生産性をほぼ0にし、国を亡ぼすのが普通のこと」

と言えます。

 

以前ミック・ジャガー(ローリングストーンズ)が、

「麻薬でインスピレーションが得られる」

という内容のコメントをしたことがあります。

楽曲アイデアを思い浮かばない時は、

「麻薬によって良い曲が創れる」

という人だったということを吐露しています。

現在ミック・ジャガーは、

爵位を与えられ、

総資産は数百億円(多分もっとある)、

健康オタクに変身、

という身分ですが、

同じ足跡を辿るアーティストはおらず、

70億分の一という例外でしかありません。

むしろより多くの麻薬摂取アーティストが、

魔の27歳を筆頭に生産活動を精神的肉体的に失い、

または早死にしているのが実態です。

 

薬物関係の実刑の判例は、

1年~10年以内が殆どです。

薬物関係での実刑判決で、

無期懲役や死刑は国内では聞いたことがありません。

 

違法ドラッグで実刑判決を受けた者が関わる作品が

連座を求められないとするならば、

作品により著作権料や印税は蓄積され続け、

刑期を終えた時、

前科者はその足で銀行に行き、

その富を受け取ることになります。

 

つまり、

「シャブでブッ飛んでビビッときたら、

作品にして一発当てりゃムショ行っても

シャバに出た時ゃウホウホよ!」

訳すと、

「違法ドラッグでインスピレーションを得て、

独特なアートを制作し一作品でもヒットすれば、

例え刑務所に入っても刑期を終えて出てきた時には、

巨額な資産が自動的に口座に貯まっているから、

その日から裕福に生活出来る。」

 

という生き方を社会が許容することになります。

これはパクリ(著作権侵害/知的財産侵害)を含む

詐欺師(グループ)にも共通する思考回路で、

これを「賢い」とか「カッコイイ」とか、

間違っても「勝者の考え方」などと崇(あが)めたり、

推奨するような社会であってはなりません。

昨今の「youtuber(ユーチューバー)」の過激志向には

同様の考え方が根底にあるように思います。

 

「作品に罪がない」は外見上正論に感じます。

アーティストの端くれとしては肯定したくなります。が、

「一般社会人、平均的社会人、殊更弱者を守る」

という視点を最優先に考えると、

違法ドラッグ関連の有罪アーティスト、

詐欺等関連の有罪実行犯、

過激 youtuber の有罪言動、

 

「彼らが違法な私生活言動から産み出した

アート、仕組み、動画等は全て『作品』であり、

これらが罪なきとされ

今後も継続して犯罪者の資産を蓄積する」

 

ことは優先すべき視点を大きく反れ、

「正直者が馬鹿をみる世の中」

であることを実証する前例となります。

直接被害の無いアート作品やアーティストによる

被害者を強いて言えば、

「次世代の若者達、子供達、そして何より未来社会」

であり、

作品が責任を問われるべき理由は、

「悪しき社会風潮を助長させ社会秩序の崩壊を構築する罪」

ということになります。

 

これらは事実/実態であり、

理解した上で再度「作品の罪」について

考える必要があると思っています。

「作品が全責任を負うべきではない」

というのが私の見解です。

 

これらの犯罪者(前科者)が、

有罪とされた期間に関わった作品、仕組みや言動により

得たまたは今後得る資産を凍結出来る法律整備が

絶対に必要だと強く主張します。

民事の判決が履行されていない現状も

広く知らしめるべきです。

 

殊に詐欺被害者は社会的弱者が多く、

 

刑期を終えた実行犯への監視や追求による

「個人、団体、法人を問わず被害資産の奪還」

は今後の社会の大きな役割だと思っています。

 

この法整備が出来ていない現状、

犯罪者が関わった作品を全て廃棄、差し替えするという選択肢は

「根絶」への誓いの強さに準じてあり得るべきです。

違法ドラッグ関係者とは、

「売り手」だけでなく「買い手」をも指します。

「売り手」のルートや資金源を潰すと同時に、

「買い手」の資金源を断つ、それに加担しないことも

重要な根絶の手立ての一つとなるからです。

現状「作品に全く罪はない」という主張は、

「身に覚えがあるか、

自身の作品に関わった者が犯罪者であることを知っている、

又は、連座による経済的実害の可能性があると認識している、

若しくは上記のロジックに思いが至らず軽率な考え方をしている」

と判断せざるを得ません。

 

再度社会に問います。

「シャブでブッ飛んだ頭で

インパクトのあるアート創って

一発当てりゃあとは

ムショ暮らしさえ我慢すりゃ

勝ち組の仲間入りよっ!」

って武勇伝語る奴、カッコイイですか?

 

株式会社Bells Rock Vista nagoya

企業人/社会人向けセミナーの御案内

http://tommymurakami.com/?page_id=53

 

2019.03.17. (Sun.)

22世紀 ~「世界は一つ」への夢 ~

お早うございます!

珍しく「夢」を語ります。

 

前もって述べておきますが、

これは投資案件の裏付け情報を述べているのではありません。

むしろ

「信用に足る安定した資産とは価値変動が少ない対象」

を指しますし、またその実現こそ私の望む環境です。

 

以前からビットコインが

SEC(アメリカ政府の証券取引委員会)に対し、

ETF=Exchanged Traded Fund(投資信託の上場)

への申請を行なっていることを知り注目していました。

来たる今年の02月27日、その結果が発表される予定でした。

注目=期待されるのは、

「金」の前例です。金が ETF 承認された時(2003年)、

投資家がどっと押し寄せて

「2011年には金の価値が500%に迄上がり続けた」

という経緯と同じ道を辿ると思われているからです。

 

しかし、今なお取引所はハッキングされ、

仮想通貨の母体ともいえるビットコインから派生した

「ビットコインキャッシュ(BCH)」の

ハードフォーク(アップデートのようなもの)に際し、

ビットコインの発案者と名乗る方が

ビットコインのアップデート構想に内紛が存在することを露呈し、

更に彼らが仮想通貨相場を牛耳っているかのような発言を行い

市場の安全性、公平性、いわゆる健全性に於いて

懐疑的な印象に拍車をかけました。

この主流派の混乱に準じて予定とはかけ離れた総下落状態に陥っています。

結果ビットコインとしてはこれ以上ブランド価値を落とすことは出来ない、

という判断の下、SEC への ETF 申請は既に取り下げてしまいました。

また、これは想像でしかありませんが、

造幣局等既得権益に携わる関係機関等からの反発や圧力による影響は

相当なものであろうと考えています。

 

しかしその歩みは着実に進んでおり、

各国の銀行が通貨の代役として運用に向けた準備を進めつつあるのが

「リップル(XRP)」という仮想通貨(暗号通貨)です。

勿論「ビットコイン」「イーサリアム」の老舗主要基軸コインが

あらゆる仮想通貨の代表として認可対象となっていますが、

追随しながら追い越しにかかる可能性のあるコインとして

「エイダ(ADA)」

はイーサリアムの次世代プラットフォーム(新コイン創造のひな型)として

成り代わる時が来るかもしれません。

※ 何故いくつもコインが創られるかというと、

その「システム用途が違う」のが主な理由です。

例えば「リップル(XRP)」は、

「送金スピードと安価な送金手数料」に特化したコインです。

従って多くの銀行が提携を公言しており、

また大量送金実験は既に成功していると報告されています。

また、「エイダ(ADA)」は、

オンラインカジノでの使用を目的に作成が始まり、

信用を確立した現在ではビットコインやイーサリアムのような

法定通貨に肩を並べる、

しかもセキュリティー面では進化したシステムもマウントされている

という状況にあります。

 

私が仮想通貨(暗号通貨)に思い入れがある理由は、

それ自体の資産価値や資産運用対象として興味があるということではなく、

 

「長い人類の歴史の中で一度も実現したことの無い、

全世界が全ての国境を超えて全く同じルールでオペレーションせざるを得ない

初めての共通概念=形無きもの になる」

 

という、

実現すれば全世界が同じベクトルを向いて進むことが出来る

可能性を示すという点に於いて画期的という形容詞では言い足りない

「輝かしい人類の一ページになる」と考えているからです。

全世界がこの同じ概念を尊重することが前例となり、

国連からのお達しのような

「各国の文化を超える拘束力で強制することでしか守れない人道」

という現状をより一歩進み、

「全人類が『形無くしてこれだけは尊重し守らなければならない』

という認識を自主的に持つことが出来る境地へと辿り着く」ことで、

未だ思想や夢物語でしかない「世界平和」という概念もまた

実現可能だと思える世代を迎える時が来ることに「夢」を託しています。

上記の意味で、仮想通貨(暗号通貨)という

思想、概念を世界へ拡散する=世界が注目するきっかけとなる

ETF の早期承認若しくはそれに代わるブランド=信用 の構築に

大いなる希望と期待を寄せているのです。

 

Imagine (cover) ~Jhon Lennon~

https://www.youtube.com/watch?v=rrJtpLRv2s0

 

2019.02.26. (Tue.)

22世紀 ~柱の陰で覗く者を柱の陰で覗く自由~

お早うございます!

コンサルします。

私がセミナーでお伝えする根幹の部分の一つです。

私は常に

「『哲学とお金』については、

学び始めるに早過ぎるということはない」

とお伝えしています。

【以下本文】

このような間違いを犯す者が学習出来ていないことは、

「いつも自分は選ぶ側だと思っている。」

ことである。

私を含め

「人は皆選ぶ側と同時に選ばれる側にも立っている」

ことを知っておかねばならない。

それは

「選ばれない可能性」

でもあることを覚悟しておかねばならない。

「自由の均衡」

について洞察が深ければ深い程、

人を舐めることが出来なくなる。

「腰の低い人」に対し「底知れぬ恐怖」を感じるようになる。

これは「哲学」である。


「学問」は「知識」であり、

「哲学」は「知恵」である。

「知識」は「個」の財産であり、

「知恵」は「社会」の財産である。

「個」の財産に求められるのは

「創造力=発想力」であり、

「社会」の財産に求められるのは

「想像力=想いを馳せる力=思い遣る心の成熟度」である。


「創造力」とは「0から1を産み出す力」であり、

ロジカルで概要も数値的に表現出来る。

それは知恵の輪やパズルで身につけることが出来、

一見バラバラとした存在が、

実はバネ型の立体スパイラル上に並んでいたことに気付き、

それら全てがたった一つの数式で見事に表現出来ることを発見した時のような

明確な解決を見出せる世界である。

明確な解決に向かう可能性を信じることが出来ることは励(はげ)みになり、

明確な解決を導き出した暁の達成感はまさに学問の醍醐味と言えよう。


「想像力」とは

「人類長年の経験値を踏まえた上でより高み(又は底辺)を目指す志」であり、

先人の経験値(経験談を聞いたり伝聞すること)無しには

スタートすら出来ない。

人の経験を聞くのに人を敬(うやま)うことを知っていなければならない。

どんなに若くともここまで既に一人で生き延びてきたのではない、

ということには早々に気付かなくてはならない。

「高みを目指すべき」という言い分を絶対的に裏付ける理論はあるのか?

またそれは本当に正論なのか?

「正しい」とはどういうことなのか?

考え方のアルゴリズム上にある分岐点での選択肢に正解は一つなのか?

「何だ、私はな~んにも知らないではないか!」

などと考えている自分自身は正しい判断が出来る人間なのか?

3歳からの記憶はあるが、

あの時の自分とはほぼ全ての細胞が入れ替わった私はもはや別人ではないのか?

身体も大きくなりこれを成長と呼ぶが、

脳(考え方)はむしろ劣化していないか?

こんな下らないことを考えている私とは一体誰なのか?

こんな下らないことしか考えられない私に生きる価値があるのか?!・・・


如何だろう、どこかに明確な解決の可能性は見出せただろうか?


「哲学」は、

生きる上で避けられない「存在」という地に立ち、

標(しるべ)無き道を行き、

時に荒れ地に自らの轍(わだち)を残しながら、

後世への遺産として人類の歩むべきロードマップを創り上げる作業である。

次世代とて頂(いただき)を見ることはない。

だから幼少の頃からその存在を知り、

探求を始めるべきだと説いているのである。

「如何(いか)に生きるべきか?」の答えを自分なりに導き出し、

「他の誰でもない私」という軸のブレない人間を構築出来た時、

「まだまだ課題はあれど自分としてはやりきった。」

という人生の集大成としての達成感があり、

これこそが社会と交わる実体験無しには成し遂げられない

「哲学」の醍醐味である。

生まれ来る世界の宝達に、この果てしない旅の道中

「生きる意味」や

「果てしないが故に見ることが出来る無限の夢」

を見つけることが出来るよう、

善きにも悪しきにも実在した物語を

経験という臨場感を以って語り継ぐのは

私達や最も身近な親御さん達の義務である。

間違っても「社会悪製造機」になどなってはならない。


誤解の始まりは拙(つたな)い口であることが多い。

だから怒りも悲しみも喜びも悲しみも知っている者は、

あらゆる可能性を鑑(かんが)みる為一旦考えてから話し、

余計なことは喋らないのである。

これも一つの「想像力から導き出された知恵」である。


社会に向けて発信するメッセージは、

「自身が社会を構成する一員である自覚」

を根本としなければならない。

SNS は全て実名公開で一名1アカウント、

居所は公開しないがサイト側で確認出来た者のみ、

という条件にすべきである。

実名公開に否定的な者は、

社会を自身の蚊帳(かや)の外の存在として見下ろし、

「どこの誰だか分からぬ者がああだこうだと主張する違和感や気持ち悪さ」

に想像が至らぬ社会の構成員として自覚が足りない者であり、

社会にはそれを受け付けない権利があることを主張せねばならない。

「自覚」と「責任」が担保出来る者に与えられるわがままを

「自由」と呼ぶことを世界共通公理として再認識する必要がある。

余談

今後社会で雇用される権利や応募する自由もあるが、

企業(社会)側にも本音はこの社会悪を行なったことで

人間性(性根)に信用がおけないからであっても、

「残念ながら今回は採用を見送らせて頂きます。

貴殿の今後の御活躍を心よりお祈り申し上げます。」

と理由を明かさず断り続ける自由と権利があることは覚悟せねばならない。

また、もし当該教師が職を追われた場合、

その家族、親戚一同から常に監視され、

あらゆる幸せを得ることに対し偶然を装った妨害行為による被害に遭うことも、

犯罪として立件出来ない限り

自由な権利として行使され続ける可能性も覚悟せねばならない。


(自由を振りかざす個人) SNS で炎上させようぜ!

(自由を行使する社会)  望み通りになったな、お前が・・・


※ 関与したのが3人であること、学校名、クラス名、

    そしてそれぞれの実名と顔写真がネットにアップされていました。

    理性を以って繕った発言をするなら「行き過ぎ」でしょう。しかし、

    当事者に近しい方達の発言による裏付けや、

    メディア取材とメディア報道の及ばない複数の関連投稿を読む限り、

    親子揃って未だ被害者意識しかなく、

    当該教師に厳罰を望んでいることを加味すると、

    「市民感情/国民目線」としては、

    「どこの誰だ?!」、「お前らこそ厳罰に!!」

    と思ってしまうのは致し方ないかなと感じました。

【本文以上】

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2019.01.29. (Tue.)

22世紀 ~飛躍の年を願う~

平成は平静の内に最期の時を迎えた。
十二支もまた輪廻最後の節目となる。
青山学院、帝京、絶対王者が負けた。
陛下は自ら退かれる。

国は領土と国民から成り、
世界は制度と経済を基盤に動く。
今一度日本人一人一人が
日本を起点に世界を発展させる
「原動力意識」
を持ち発奮せねばならない。
制度を自らの意思で動かす為選挙に行き、
仕事をし、
稼いだ金融資産を回さねばならない。
「言っても無駄だ」などと嘆きながら、
日々時間を浪費していてはいけない。
維持しようとすれば衰退していく。
2位を目指してはいけない。
ナンバーワンを獲りにいった中から
結果的に2位は生まれるからだ。

先に述べた通り今年は多くの節目年だ。
可能性として、
少なからず領土を失う程の超激甚災害が起きる、
銀行が貨幣(現金)から手を引く、
形あるものが原油に依存しなくなる、
等が考えられる。
多くのもの、ことが
根底から覆(くつがえ)る兆しすら感じる。

破綻と飛躍の違いは、
構成員一人一人が
「動き、回す」
ことに当事者意識をもって参加するか否かだ。

少しだけ隣人に関心をもち、気遣い、助け合い、
キャッシュレスの延長上にある
仮想通貨アレルギーを取り去り、
大自然に溶け込む多少不便な都市モデルを
想像から創造へと具現化し始める。
そんな近未来を、
それぞれが現実世界としてイメージすることだ。

次々と制度が変わり手薄になっていく年金で、
70歳から100歳迄無職、
手持ちの資産を崩しながら、
だけで生き抜くことは絶対に無理だからだ。

「グローバルな分散投資運用」
が必ず必要になるだろう。
コアな大口投資家に相場が左右され
小口一般投資家が食い物にされるのは、
一般投資家が少な過ぎるからだ。
経済が不公平で豊かに感じられないのは
自分達が経済活動していないからだ。

「国民全員参加で動く、回す」
そんな活気の中で新たな元号を迎えられれば
必ずや飛躍の年となるはずだ、
そう信じながら一歩踏み出すことにしよう。
【新元号予測】
「明徳」

Rocket Man 〜Elton Jhon〜
アポロ13号打ち上げの成功に捧げた楽曲。
エルトン・ジョンはバラッドでも、
タタタタンタンタン
という3や6の連打タッチで切れ味よく弾く。
リズム感の良さを感じるシンガーだ。
long long time
の心地良いファルセット(裏声)を
後に失うことになるが、
健在の頃の歌声がやっぱりいい。
今では
シンセサイザーのピッチダイヤルを回せば
このスライドアップする効果音が出せるが、
当時彼のバンドは
繊細なスライドギター(ボトルネック)で
表現していた。

ボトルネック効果音でアレンジされたオリジナル

暫し宇宙空間に想いを馳せ、
無重力を感じながら漂って頂きたい。

午前00時09分。
僕は凧のように舞い上がる
地球から遥か遠く 愛する者の元を離れ
ただ一人宇宙空間の中
何と時空を超えた世界なんだろう

火星は子供を抱き上げるようなところじゃない
ただ地獄のように寒いのが現実だ
もしそれが出来たとしても誰もいない世界
僕には科学のことは分からない
週に5日ミッションをこなすだけの
宇宙飛行士なんだ

長い長い旅になると思う
新たな発見がある迄帰ることはない
僕は皆んなが想像するような
家にいる人間じゃない
だって僕はここで一人燃え尽きて
もくずと消えていく宇宙飛行士なのだから

長い長い旅になると思う
長い長い旅になると思う
長い長い旅になると思う・・・

※ 訳詞 “TOMMY” MURAKAMI

2019.01.05. (Sat.)

22世紀 ~官で出来ないことを民に押し付ける不条理~

お早うございます!

今話題の「ふるさと納税」ですが、

「3割原価、地産物限定の指定を強制する方向」

に動いていると報道されています。

以前、私がパーソナリティを務める

「渋谷ラジオ tokyo」の番組でも触れましたが、

これぞ民間企業の仕組みを国が体験する貴重な機会です。

 

ここへきて強制力を以って原価、商材を指定するに至り、

これは言い換えますと、

「国会と行政を司る=日本を担っている 方々は、

民間企業が当たり前に行う商活動の仕組みに於いて破綻(はたん)し、

自分達で立法した独占禁止法で取り締まる不公正な競争を自治体に強要し、

参加しない自治体を外す意味も含め広義に談合を大々的に開始した。」

ということになります。

 

民間企業団体が大いに苦言を唱えるべきは、

「国は自分達が維持出来ない仕組みや守れないルールを

民間企業にだけ押し付けている」

ことです。

 

主な理由を考えれば、

「当初そんなに盛り上がる予定をしていなかったが、

予想以上に大当たりしてしまい、

東京都の税収に看過できない落ち込みがみえたから」

くらいしか思いが至りません。もっと深読みするなら、

「地方同士で潰し合う経過であれば、

『税収の格差是正』が目的ですからと一蹴していたが、

東京の税収に影響が出た為途端に圧力をかけた」

とも想像します。

原価が大きくなっても結果的に納税額が増えれば、

収益率の悪い利益を数多く積み重ねることになり、

結果的に税収は増えていきます。

これが民間の置かれている環境下での

「薄利多売」という収益方法の形です。

自由競争上の利益とはそういうもので、

「税収の格差是正」という

当初の目的は果たし続けている筈です。

それでも規制をかける根底には、

「そもそも放っておいてもふんだくれる金に

元手をかけること自体勿体ない!

本来うち(主に東京都)に入ってくる金を恵んでやってんのに

調子に乗って稼ぎ過ぎなんだよ!」

という上から目線を感じずにはいられません。

 

しかし、

こうして正論らしき個人的見解(もしかすると民意)で

ただケチをつけるだけでは、

国家は動けないということは承知しております。

歴代の能弁だった著名人が、政界に入った途端

ことごとく物言わぬ人に激変することからも、

身の回りが蜘蛛の巣のように

ほぼしがらみで絡み合う世界であろうことは、

容易に想像がつきますから。

公務員の方々に覚えておいて頂きたいことは、

国家を司る方々も民間企業を支える方々も同じ人間、

今後ルールを創るまたは改定する際には、

「先ずこの拘束力が

如何に民間企業を締め付けることになるのか、

本社の日本脱出に繋がらないか?」

をよく心中で自問自答しながら決定して欲しい、

とほぼ全ての日本企業経営者が思っている(だろう)

ということです。

日本人不在の日本経済を構築してしまっているならば、

日本国家の創り出すルールがそうさせているのだ

ということを先ず自覚して頂く必要があるのです。

 

書き添えておきますが、

ふるさと納税を食い物にする民間企業排除の為、

※ 納税額の約10%を掲載料(手数料)として

「eコマース」サイト運営企業が貪っているのが現状です。

 

紹介ページは国のホームページ

(総務省ふるさと納税ポータルサイト)だけに制約することは

何よりも優先して規制しなければなりません。

 

【ふるさと納税のはじまり】 ~ウィキペディアより引用~

地方間格差や過疎などにより、

税収の減少に悩む自治体に対しての

格差是正を推進するための新構想として、

西川一誠(福井県知事)が

2006年(平成18年)10月に

「故郷寄付金控除」の導入をも提言しており、

ふるさと納税の発案者と言われている。また、

同知事は総務省が設けた

「ふるさと納税研究会」の委員に選任され、

賛成の立場から積極的に発言をした。

 

【独占禁止法】 ~ウィキペディアより引用~

資本主義の市場経済において、

健全で公正な競争状態を維持するために

独占的、協調的、あるいは

競争方法として不公正な行動を防ぐことを目的とする

法令の総称ないし法分野である。

 

【談合】 ~コトバンクより引用~

国や地方自治体の公共事業などの入札の際に、

入札業者同士で事前に話し合って落札させたい業者を決め、

その業者が落札できるように入札内容を調整すること。

 

 

2108.12.10. (Mon.)

んー何でそうなるの? ~「二度と起きないよう・・・」という被害者遺族達の毎度~

【解釈の間違い】

双方車で云々という流れの外見から、

自動車にまつわる法律を適用しようと探す

=道交法からアプローチする からおかしくなる。

例えば、

地上39mのマンション(12~13階相当)から

人を突き落としたことで人は死なない。

落ちた地上が人に与える衝撃で死ぬ。

この時突き落とした人は、

「暴行罪や傷害罪で逮捕」はされない。

突き落としたことで容易に人が死ぬことを想定出来る上で

行なったとすることが前提となって

「殺人罪で逮捕」される。

【解釈の結論】

「運転致死傷で該当せず」の方がむしろ正当。

二台の車がそこにある環境下で起きた

「殺人事件」

なのだから。

 

【一般殺人事件としてみればごく自然】

高速道路の追い越し車線(最低速度50キロ制限)は、

停車が違法な上に速度100キロが許容されており、

危険極まりない状況へと他の車両を追い込み

最大100キロの車両が突っ込んでくることを想定した上で

行った

=家族を含めた公衆の面前で、

13階建てマンションの上から二名を突き落とした

ことと同義であり、

※ 「時速100キロで走ってくる車の前に

二人を突き飛ばしたのと同じである。

その衝撃は、

マンションの13階から飛び降りた時に匹敵する」

と言った方が分かり易いかな?

 

「計画的(監禁)殺人で逮捕」が相当。

※ 監禁の時間は、この場合関係ない。

死因は「衝撃」であり、

13階のマンションから突き落とす衝撃に

時間的要因は何ら関係しない。

 

【前科等余罪】

以前、

山口県警は同者を、

一般道で同様の行為により

「自動車運転処罰法違反(過失致傷)容疑で書類送検」

しており、重犯(反省の機会を放棄したとみなされる)

には酌量の余地はない。

 

且つ家族を含む公衆の面前で行なった殺人で、

公序良俗を著しく害しており、

この点では秋葉原での無差別殺人と同様の厳罰を要する。

 

更に、

社会通念上状況を想像出来ないトラック運転手

(不起訴=上記の地上の立ち位置に当たる)を

自身の加害行為に利用しており、

「殺人ほう助の強要」

も追加すべきである。

 

もっと更に、

トラックがほどなく追突しており、

状況証拠=自分も重傷を負っていること から考えて、

監禁状態から解放したのではなく、

もはや車両が追突するのを避けられないと判断して、

被監禁者を見捨ててでも自分だけは助かろうと

その場を逃げ去った、と判断するのが妥当。

「第三者を利用しほう助させた不真正不作為

(いわゆる”見殺し”)による殺人」

としても捉える又は追加することが出来、

これを裁判所が認定することこそ、

「被害者の死を予見出来た」ことや

「自分で追い込んだ状況下で被害者が死んでも構わない

と考えた⦅未必(みひつ)の殺意⦆」証明となり、

この「事件の核心部分」である。

あらゆる「ゴネ得」を目的とした加害者のよた話を

許容し続けている理由はここの認定がされていないから

であり、今後一蹴する為に最も必要な要件である。

 

【相当判決】

「永山基準」に照らしても、

二名以上の死亡被害を一人で引き起しており、

前科や余罪をみても更生の余地どころか、

釈放後の遺族の安全が全く担保されない。

※ 2018.06.09. のぞみ265に乗車していて

以前からの想いを更に強くしたが、

これら常軌を逸した殺人犯には単なる刑期だけでなく、

実社会での生涯背負う実害を受けるべきであると思う。

私の考える殺人に相当する実害制裁とは、

 

「遺族の意向があれば、

加害者の両目を奪う=視力を失わせることが出来る、

且つ障害者認定されない」

 

ことだと思っている。

※ 不思議な罰だと感じるかもしれないし、

他の意見があるだろうことも承知しているが、

加害者釈放時点の生命を最低限保障した上で、

加害者釈放後の被害者遺族への逆恨み犯罪を回避する、

被害者遺族の畏怖という精神的負担を軽減する、

障害者手帳の有無で実障害者への偏見差別を排除する、

のが目的であり、

「自分が遺族だったら」

と想定した時の今考え得る最も有効な手段だと思う、

のが根拠である。

 

被害者と遺族の人権があまりに守られない歪(ひずみ)は、

更なる凶悪犯罪を助長しており必ずいつかどこかにしわ寄せがいくだろう。

 

少なくとも

「二名の殺人罪、前科による酌量の余地なし」

で判例に照らし合わせれば

「死刑」

が相当である。

 

【これから】

既に「危険運転致死傷罪」

にて立件してしまっているので、

別件として追加起訴しながら、

※ 通常一連の流れを一事件として扱い、

同じ流れの中で別件を立件することは出来ないが、

加害者が一つ一つを別々の事件だと主張しているので、

ここを逆手にとっての別件立件、命取り、

という大岡裁きを見せて欲しいものだ。

 

先ず「危険運転致死傷罪」で判決を行い、

控訴してきたところで

「反省なしとみなしプラス10年」、

※ 控訴が必ずしも減刑されると思うなかれ。

 

その後

「再逮捕、死刑」

とするのが相当である。

※ 勿論裁判所が凶悪且つ社会的脅威と認定すれば、

この件自体を差し戻し、

改めて「殺人」にて立件するよう指示する可能性もある。

※ 死刑反対論があることは承知しているが、

「司法の場は正義を争うところではない」。

それは正義の何たるや知った者が順守し合う世界で、

罪を犯す前段階の議論の場でやれ。

司法の場は既に罪を犯した者に対し、

罪と同等の身を切らせ清算させるところだ。

特段の理由や酌量の余地がなければ、

被害者の代理人である遺族の意向を最優先に

民意を加味して最大の量刑が求められ、

それを叶えられて当然である。

殺人が異常な行為である以上、

同等な死刑がたとえ異常であっても

執行されて然るべきで、

守るべきは、

「人を殺したら終わりだよ。」

と親をはじめとする日本全国民が教育し合える

「基本的人権の均衡」

である。

 

「法務大臣の押印判断」という肩の荷を下ろす為、

死刑判決が出る度にその人数分だけ押印せねばならない、

という法律を創ることを提案する。

(死刑確定者の生存権の制限)

被害者の死亡数は殺人者の死亡数をはるかに超え、

相変わらず殺戮(さつりく)は繰り返され

その人数差は広がるばかり、法律はそれを許容し続けている。

被害者遺族の善良性に甘え続け、

「死んだもんはしゃーない、お前らが我慢しとけ」

とツバを吐く

法律の人命軽視という罪は大きい・・・

 

 

2018.12.04. (Tue.)

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問答有用 ~「決定せん! ~カルロス・ゴーン事件から学ぶこと」の巻~

お早うございます!

 

私の投稿を御一読下さった方々には

出来る限り丁寧に返信しております。

ややもすると本文より長くなったりする場合も考えられ、

私だけの見解に加えて更に深い、より高みの御意見も

頂戴することがあると思っております。

私自身も含め勉強になると思いますので、

御紹介する機会も作って参りたいと思います。

こちらも是非御一読下さいませ。

 

【M氏からの貴重な御意見】

人間って意思疎通が可能な生き物だからこそ、

相手にいい加減だったり、真面目になったり、

陥れたり、助けてあげたり…って事をするのでしょうね。

いわゆるグレーゾーンの多い世界に身を委ねているって。

でも、個人的にはもうグレーなんて要らない。

悪い奴は悪い、良い事をすれば褒めてあげるでいい。

…って話をしてると個々の価値観で裁量の範囲が決まる事が

ややこしい世界だなって思います。

簡潔に言うと、

もうAIに任せてもいい世界なんじゃね〜かと思う訳です。

 

【私の回答】

お早うございます!コメントありがとうございます。

お久し振りです、お元気ですか?

※ M氏は以前の職場で同僚として、

いつも味方になって下さった貴重な友人です。

 

行き着きましたねぇ~、

生きることに必死な世の中ではなくなったことで、

中間階級意識層が異常に増え、

その中で自分の優位性を知らしめたいという動物としての本能、

「弱肉強食」が法律の圧力の中でギシギシと音を立ててひしめいている

のが現代です。

生き死にの狭間に身を置きたいと潜在的に思っている

=トラブルを自ら起こしてでもスリリングに生きたいと思っている

人間は人口増加という要因も手伝って自然の摂理として相当数存在する

と思っています。

これは「他人に手を差し伸べることに幸せを見出せる世界を創る」

というような夢、

証拠として人類歴史上未だ一度も実現したことのない机上論だけでは

解決に辿り着かない現実(現場)論です。

一つことのレベルが 1~10 まであれば、

全レベルに常識とする世界が存在し、

非人類でなければ結論など出せない、

というのが私の論文の本質です。

 

特筆すべきは、経済=個々の収入 についてだけは

人類始まって以来今日までズーーっと

社会主義状態=極所集中状態 だということです。

経済的社会主義世界については当事者(経済的独裁者)が

全く語りませんので、

我々中低所得者層はその存在すら知らないまま

世を去り続けているかと思います。

 

【J氏からの貴重な御意見】

あとで、ゆっくり読ませてもらうとして

今回の「事件」で、個人的に納得いかないのが

年収20億円を年収300万の非正規雇用の人たちがわけあえば約670人。

670人って、烏合の衆でしかなかったのでしょうか?

 

【私からの回答】

お早うございます!

コメントありがとうございます。

 

私の見解ですが、

ゴーン氏の報酬は承認済みだった。

経営陣全員が

2万人を実質クビにした恨みに

更なる追い撃ちがかかるのを恐れて隠した、

日産にそれを断行する勇気のある人がいなかった、

その代償として日産は黙認ではなく認めていた、

のが実態ではないでしょうか。

※ 私の経験した実例では、

年商500億円(当時)の企業が1万円の経費に稟議書を要しました。

(年商の 2/10⁷ に相当)

年商12兆円(連結)の企業が年間10億円(年商の 8/10⁵ に相当)  の

行き先を知らない、追求もしていない、

=「誰かが巨額な横領をしたようだが、

経営陣は誰も解明しようと思わなかった。」

などということはあり得ません。

また、たとえ毎年10億円程が未記入であっても、

日本有数の東証一部上場企業ですから

各年決算時の逆算(実際の純利益とのズレ)から、

その金額はほぼ正確に算出出来ていたと思います。

 

ゴーン氏の50億は非合法で争う事ですが、

非正規雇用から優先して削減は当たり前ですし、

※ マスコミとしてはより多くの人件費に匹敵する

=より多くの人財(材)を犠牲にした ことを強調する為に

非正規雇用者の人件費で算出したと思われますが、

正社員を先に自主退職させて非正規雇用人員を残すことなど

もっと非人道的な措置であり通常あり得ません。

 

彼が恨まれる立ち位置を継続しながら

浮かせた金額は年間1000億以上、合計1兆を超える、

断行しなければ全員解雇、民事再生、最悪破産だった。

今会社があるからああだこうだ言えますが、

当時他の選択肢はなかったのではないでしょうか?

 

今回は以上です、皆様の糧(かて)になれば幸いです。

 

2018.11.29. (Thu.)

22世紀 決定せん!~カルロス・ゴーン事件から学ぶこと~

お早うございます!

コンサル(というか妄想)します。

かなりぶっ飛んでますので、

SF(Society Fiction)ストーリーとして、

御自身の妄想を加えながらお楽しみ下さい。

 

巷の噂

「人切りの為に呼んだんでしょ?」

 

日産関係者

「日本では日本の基準にのっとってやって貰わんと困る」

 

ゴーン氏

「何でこの業績でこんな安い報酬やねん!」

 

それぞれがそれぞれを一蹴する時の決まり文句

「知りもせん素人(しろうと)が物言うな!」

 

多くの会議でもシンポジウムでも、

専門家や知識人と称される方々を中心に、

過去の歴史(観)や学会論文等の自身にとって都合の良い

部分の引用や解釈をぶつけ合って双方最後まで相見えない。

その場正論で論破しても、

次の資料を探し出し次の機会に再度反対してくる。

数がまとまらなくて決定(多数決)出来そうにないと、

反対派のところへ行って説得、納得と称し

別カテゴリーの供与で実質買収する。

反対派も本音はどっちでもいいが、

「ゴネ得」にあやかりたいが為の

「タカリ」が主な目的だったりする。

これが民主主義形式の議会の実態である。

イコール

「多様性を許容する社会や企業が、

人間一人で全体ルールを決定するには無理がある」

ことの証明でもある。

 

「結局最後は人が結論付ける為、

如何なる知識や裏付けがあっても

結論を託された人にとって利益となるところへ

都合よく導いてしまう」

が理由であり、これは人間社会究極の命題の一つでもある。

 

名古屋の議会をみても、

議員報酬を下げると謳うと民意で当選はするが、

議員間では四面楚歌になりその案は通らない。

※ 一時的に=パフォーマンスとして 採用したことはある。

 

月給50万円の16ヶ月(12ヶ月+賞与4ヶ月)

では少な過ぎるらしい。

議員報酬カット、減税は民意ではあるが、

財源と議員自身の報酬確保は議員総意とやはり相見えない。

 

また、

「断行して偏(かたよ)ると叩きたくなり、

みんなが程々によい状態を良しとする」

のが日本人の気質であるから、名誉や権限は欲しがるが、

大事の決定権は持ちたがらない。

 

私が学級委員長だった頃や生徒会長をしていた時も同様、

規模の大小や専門性の有無を問わず、

ず~~~~~っと何ら本質は変わっていない。

 

もう一つ。

「行政府」って内閣だから実質立法府と一緒のメンバーで

決定してからその違法性を争うところでやっと司法が参加、

決定までの時間もそれまでの議論(人件費)も無駄。

これでは三権分立になっていない。

 

さて、

日本はその高い技術水準を誇る国家として

AI 先進国を目指している。

その先駆者として、

「国家首相を AI 」

にしてみるとどうなるだろうか?

 

AI は六法全書どころか国際法から

日本関係各国の法律を全て記憶することも可能だろう。

日本は国勢調査にみられるように、

国民全員の情報を把握出来る能力がある。

AI なら一台で一億何千万程度の情報を受け容れ、

統計化し、多数結論を法律に準じはじき出すことなど

ややもすると数分で出来るかもしれない。

この段では暴走しないよう、

敢えて学習機能を持たせないのがベターかもしれない。

途中でポリシーすら変貌してしてしまいかねない

代行者という一人間に託すことなく、

直接国民の意見が正確に反映される。

正に民主主義と言えるかもしれない。

 

議会の構成は、

各都道府県から一人ずつの

行政(地方自治)代表者、国会代表者、司法代表者、

で合計 141 名(3人× 47都道府県)、

完全な三権分立会議だ。

国会議事堂は中央部分のみ約三分の一程度の敷地、

「日本議事堂」等に改名することになろうか。

AI首相の出した「答え」を議論する。

修正案や反対案がまとまらなければ、

AI首相の出した答えがそのまま採用される、

謂わば「参議院」としての機能が本文となる。

 

これでフェアな状態では結論が出ないであろう

ことを想定していながら、

カンファレンスを開き参加することで給与を得るという

最大の無駄を年間百億円単位でカット出来ると思っている。

 

外交はどうするんだ?

という意見が当事者からは出るかもしれないが、

根底から変わる暁(あかつき)の話を

現状の縛りで考えること自体がおかしい。

例えば大使(立法、司法、行政から一人ずつ、

対国に最も洞察の深い方として選出された方々)が、

友好な関係構築に向けた対話や振る舞いだけにコミットし、

核の部分は聞き役に徹して持ち帰り AI首相 が答えを出し、

三権分立会議で審議して決定を下す。

その後再度訪問し、謹(つつし)んで結果を伝えに行く、

というような流れを想像する。

数値上「47組の日本トップ」の存在が可能

複数国家との同時首脳会談が可能

メリットか否かは不明だが。

 

くらいの奇抜な提案の実現には

「憲法の変更が必要です!」

という主張であれば、

憲法改定法の変更に賛同が得られるかも・・・

※ 今取り組んでいる「改憲」は、

主に一文、一箇所についてにしか伝わってこないが、

それによって連動して改定及び解釈を変更せざるを得ない

こと(箇所を含む)を全て提示して頂く必要がある、

またそこに潜む可能性について深く考える必要がある、

ということを有権者は忘れてはならない。

 

2018.11.26. (Mon.)

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